2020年の夏は、残念ながら新型コロナウィルスの影響により日本全国でほとんどのお祭りが中止になってしまいましたが、『日本の花火を愛する会』の『日本の花火「エール」プロジェクト』により、花火と花火師を守るため、そして全国民を励ますために、全国で不定期に花火が打ち上げられています。コラム「花火のお話」は以前執筆したものでありますが、コロナウィルスの収束と、来年からはまた花火が見られることを心より願い、今だからこそ改めて日本の花火に思いを寄せていただければと思います。
花火は日本の風物詩!
日本の夏といえば・・・そう、花火です!日本の花火は世界でもっとも美しいといわれ、現在では世界20カ国ほどに輸出もされています。ところでこの花火、どのように生まれ、現在の形にたどりつくまでにどのような進化をとげてきたのでしょうか?今回のコラムは、おおまかではありますが花火についてその歴史をのぞいてみることにしましょう!
花火のルーツ
花火のルーツには諸説ありますが、一般的には中国にその原点があると言われ、硝石(火薬製造の基本となる硝酸塩の混合物)の発見に始まり、それを利用した狼煙(のろし)が花火のルーツだといわれています。漢代(202年~225年)に万里の長城で通信手段として使用されていたことが知られていて、唐代(618年~907年)の書物には黒色火薬に言及するような箇所も見つかっており、北宋時代(960~1127年)に入ると火薬を使った武器が登場しました。花火の原型の1つともいえるものが生まれたのは12世紀中ごろと言われ、爆竹に近いものが作られていたようです。
硝石はシルクロードを経て中国からヨーロッパにも伝わり、当初は戦争の火器として使用されました。
観賞用の花火としては、14世紀後半のイタリア・フィレンツェで、キリスト教の祝祭などに使用された火を吐く人形のようなものが登場したのが始まりだと言われ、それから花火(のようなもの)はヨーロッパ中に広まっていきました。そして大航海時代に入り、花火(火薬)は世界中へと広まっていったのです。
ちょっと話がそれてしまいますが、ジュラシックパークの原作者マイケルクライトンの同名小説を映画化した『TIMELINE(タイムライン)』に“ギリシア火薬”という武器が登場しており、これが中国から伝わった硝石を使った武器です。同映画ではまさしく火薬の伝来の歴史も主要なテーマの一つとして取り扱われていて、内容も非常におもしろい映画ですので興味のある方はぜひご覧ください!
日本への火薬と花火の伝来
日本に火薬が伝わったのにも諸説ありますが、確実なところでは、種子島に偶然流れ着いたポルトガル人により鉄砲が伝えられた1543年だと言われています。
また、日本で初めて花火を見た人物は徳川家康とされ、1613年にイギリス国王ジェームズ1世の使者、ジョン・セーリス一行が謁見した際、同行の中国人の手で花火を見せたという記録が残っています。それとは別に、すでに1589年に伊達政宗が花火を見たという記録もあるようですが定かではありません。家康が見たと言われる花火は打ち上げ花火のようなものだったようで、それを機に花火が将軍家をはじめ諸大名の間で流行し、江戸の町民にまで広がっていき、江戸に上京して『鍵屋』を起こした弥兵衛のような花火師が登場するようになりました。
ところで、名古屋市から程近い岡崎市は花火の一大生産地として有名ですが、それは当時岡崎に幕府直属の火薬製作所があったことが理由です。岡崎は家康の出生地であったこともあり、火薬製作の一大拠点となっていたのです。
花火禁止令と両国開き
花火は江戸で大流行しましたが、花火が原因となる火災が何度も発生しました。つに江戸幕府は花火禁止令を出し、大川端でのみ花火が許可されるようになりましたが、一度“火のついた”流行はなかなか収まりません。花火禁止令はその後6回にわたり出されたのですが、1733年に時の将軍吉宗は、前年の飢饉と悪病払い(コレラが大流行したのです)のために施餓鬼を催して花火を打ち上げました。そしてこれが『両国開き』の始まりとなったのです。
玉屋と鍵屋
両国開きの時に花火師を務めたのが、前述した鍵屋の6代目弥兵衛でした。そして1810年、鍵屋に特に腕の良かった清七という花火師がいました。
清七は鍵屋から暖簾(のれん)分けをしてもらう形で玉屋を立ち上げ、以後玉屋と鍵屋は両国開きで共演することとなったのです。これが花火が打ち上げられる時の掛け声『玉屋ぁ、鍵屋ぁ』の由来となりました。しかし1843年に玉屋は大火災を起こしてしまい、それを理由に江戸を追放され、1代限りで断絶してしまいます。
現代の花火へ
明治に入ると、日本にさまざまな薬剤が輸入されるようになりました。そしてそれらを彩色光剤として花火に使用することで、掲載写真のスターマインのような華麗な花火の製造が可能になり、近代的な花火の歴史が幕開きます。
ですが第二次世界大戦に突入すると花火の製造は中止され、戦後のポツダム政令により火薬の製造も禁止されてしまい、昭和21年のアメリカ独立記念日の花火打ち上げまで花火を見ることはできませんでした。その後花火製造は次第に復活していき、携わった多くの人の研究と努力の末ついに“世界でもっとも美しい”と言われる日本の花火が生まれたのです。また両国開きは、川の水質汚染等の理由から1961年に中止されてしまいますが、その後1978年に隅田川花火大会として復活しました。
今回のコラムでは花火のおおまかな歴史を紹介しましたが、ほかにも技術や種類等、花火には知って驚くことがたくさんありますので、興味のある方はぜひ調べてみてください!これからは、花火を見るのがいっそう楽しくなるかもしれませんね!
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